奥尻町は、北海道本土の南西部(渡島半島)に位置し、全道14支庁行政区の檜山支庁(10町村)の管内にあり、追分の町(江差町)より日本海上61kmに浮かぶ、周囲84kmのやや三角状をなした離島です。
今から、およそ5億年昔に隆起し、数回の火山活動で現在のような離島になったものと地質及び海底地形、植物の分散常態から見て想定されます。こうしてできた「おくしり」は、その昔はアイヌ語で「イクシュンシリ」と呼ばれ、後に「イクシリ」となりました。
「イク」は向こう、「シリ」とは島で「向こうの島」という意味。
後に享保5年、今より300年くらいの昔、新井白石の著書「蝦夷志」に初めて「オクシリ」と記されてから同様の名前で呼ばれています。
約500年の昔には、北海道開拓の祖「武田信広公」が本州より渡道の際、嵐にあい漂着し、しばらく住んでいた事は史跡により明らかにされています。
明治2年国群設定後に奥尻群となり「釣懸」「赤石」「薬師」「青苗」の4ヵ村を設置、同39年には北海道2級町村制施行により4ヵ村を合併し、奥尻村が創立されました。
海岸線は、比較的単調であるが、西海岸一体は、変化に富んで奇岩絶壁等が多く、昭和35年には「檜山道立自然公園」に指定され、美しい海岸線と温泉、素朴で荒削りの風景がかもし出す多彩な観光資源にも恵まれております。
また、昭和41年には島民の宿願でありました町政が施行、昭和42年にはフェリーボートが就航し海上交通が一段と改善されました。
さらに航空路は函館~奥尻間を航空機(19人乗り)が就航しました。現在は大型航空機に向けた整備が進んでいます。
平成5年7月12日には、マグニチュード7.8に及ぶ「北海道南西沖地震」が発生。地震・津波、その後に発生した火災により全島にわたって壊滅的な被害を被ったが、全国からの暖かいご支援と島民の不屈の努力により、平成10年3月には完全復興を宣言した。
震災から10年目となる平成15年7月12日、最大の被災地青苗地区にある青苗中学校において「北海道南西沖地震災害奥尻犠牲者10周年追悼式」が執り行われ、10周年に関連した様々な行事も行われた。
現在も「心かよいあう幸の島:みんなのおくしり」をキャッチフレーズに観光振興に力を注いでいます。
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