北海道南西沖地震
平成5年7月12日午後10時17分。
北海道南西沖を震源とする「北海道南西沖地震」が発生しました。
震源の深さは34km、マグニチュード7.8、推定震度6の日本海側の観測史上最大の地震となりました。
当時、奥尻島には震度計が設置されていなかったため震度は公表されていませんが、その後の調査で震度6の烈震だったと推定されています。
奥尻町はもとより、北海道や東北地方の各地で震度5の強震から震度4の中震を記録しました。
この地震、津波、火災により198名もの尊い命が犠牲となりました。
この地震により、各地区で建物の倒壊や地割れ、陥没、崖地の崩壊など随所で発生し、特に奥尻地区の観音山大崩壊は麓にあったホテルやレストラン、灯油備蓄タンクなどを飲み込み、大惨事を招きました。
地震発生直後に大津波が奥尻島を来襲し、稲穂地区や青苗地区などを一瞬にして壊滅的な状態となりました。壊滅した稲穂地区震源に一番近い奥尻島の稲穂地区では地震発生後2~3分後に津波の第一波が押し寄せたと見られており、
津波の最高到達高は西海岸の藻内地区で29mに達しています。
津波の高さは23.3m(ビル8階相当)だったと推定されます。また、奥尻島南部に位置する青苗地区は標高2~8mの平地と標高30mほどの高台で構成されています。
被害の大きかった中心部は青苗漁港を中心に人家が密集し、漁協や農協、診療所、郵便局、学校をはじめとする公共施設や宿泊施設・飲食店などが数多くあった地区でした。
青苗地区では船舶火災と建物火災が発生し、翌朝まで広範囲にわたり延焼し続け、津波と火災により青苗地区は一夜にして壊滅状態となりました。
復興へのみちのり
地震と津波、火災で家を失った人たちは各学校や集会所で避難生活を余儀なくされました。また、被災者の一時的な住宅確保のため災害応急仮設住宅が設置されました。
壊滅的な被害を受けた青苗地区、松江地区、稲穂地区では漁業集落環境整備事業等により新しいまちづくりが進められました。居住地の移転や盛土、区画整備などをし、新たな集落が作られていきました。
北海道南西沖地震では津波により多くの被害を被ったため、その対策として、防潮堤や津波水門、人口地盤、避難路など津波に対する防災対策を行いました。防潮堤は集落ごとに当時の津波の高さから推定し、その高さと同じ高さとなっております。また、地震発生後、いち早く高台に避難できるように青苗漁港に人工地盤を整備。各地区に避難路を多数整備いたしました。
そして完全復興へ
奥尻島は震災発生から5年後の平成10年3月に「完全復興宣言」をいたしました。
震災当時は誰もが悲しみと絶望に打ちひしがれ、本当に復興できるのだろうかという思いでありましたが、全国の皆様から多大な支援・協力を賜り、現在では震災前の生活を取り戻しております。
この復興支援へ感謝の気持ちと、災害の記憶と教訓を全国の皆様や後世に伝えていくことが今後の私たちの使命と考えております。
復興後の取り組み
津波から復興した奥尻島が伝える心の島ヂカラ私たちはこの支援への感謝と島の教訓を後世に残すために、平成17年より取り組んでいる防災教育の経験を活かし、官民一体で地震・津波防災への関心が高まっている現代社会へ向けて、奥尻島防災教育プログラムを推進して取り組むことを全国のご支援をいただいた皆様への唯一のご報恩と考えております。そして、被災した島からの取り組みが、東日本大震災から復興に向かって頑張っている東北地方の皆様への復興の未来像、そして次世代を担う子供たちの未来へと活かしていくため、次のことを実施しています。
◇平成5年発生の北海道南西沖地震からの復興・防災対策を活用した教育旅行受入れを実施
◇復興した島の環境・施設・人が一体となり地震・津波から命を守る防災教育プログラム推進
「防災ロールプレイ」「防災フットパス」「島の語りべ」等
◇「奥尻島歓迎キャンペーン事業」の活用(6m以上宿泊目的のバス奥尻島乗り入れへの復路航送料金助成)及び企画・視察などのバックアップ体制の推進
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